脱兎さん


国産乗用車のルーツは「逃走ウサギ」

今でこそリストラの代名詞のようになってしまった日産自動車ではある。しかし、日本の乗用車の歴史はNISSANから始まった、という事実を僕らは知っておくべきだろう。その記念すべき元祖乗用車こそ「ダットサン」だったのだ。ダットサンというと「ブルーバード?」「ADバン?」程度の記憶しかないが、その歴史は意外に深く複雑だったのだ。しかも、ネーミングの由来をたどると「脱兎号」という気になるネーミングも・・・国産乗用車の歴史はこの「逃走ウサギ」から始まったのか?
→だっと【脱兎】(にげだすうさぎ)ひじょうにはやいものの意味。「─のごとく走る」(「新選国語辞典」)

「脱兎号」誕生は大正時代

日産車図鑑によるとダットサンのデビューは昭和10年(1935)のこと。公務員の初任給が75円の時代に、その25倍強にも相当する1,900円という価格設定であった。シャシーからボディまで、日本ではじめて一貫生産を実現し、年間5,000台の生産ラインを完成させたという。
 当初、NISSANは自動車製造株式会社という社名で、日産コンツェルン総帥・鮎川義介が創業した。彼は九州で戸畑鋳物という会社を興しており、事業拡張により自動車製造に参入。ダットサンはこのとき「DAT CAR」の製造権・販売権を引き継いだもので、残念ながら鮎川が開発したクルマではなかった。そのルーツを知るには大正時代まで遡らなければならない。

「DAT」に込められた2つの意味

ダットサンのルーツ「DAT CAR」を開発したのは橋本増次郎という人物で、明治44年(1911)、東京・麻布に快進社自働車工場を設立。本格的な国産車の製造に着手する。3年後(大正3)に完成したそのクルマは「脱兎号(DAT CAR)」と呼ばれ、国産乗用車の代名詞となった。DATの由来は3人の資金協力者(田健治郎・青山禄郎・竹内明太郎)のイニシャルらしい。このクルマが後に日産自動車によって日本の乗用車のスタンダードになっていくわけであるが、DAT CARを「脱兎号」と読ませるセンスがたまらない。ウサギが一目散に逃げていく様は、まさに日本の大衆車の未来を暗示しているようで楽しい。ウサギ小屋のガレージからさっそうと走り出すわが家の脱兎さん!戦後日本のライフスタイルを予言した、まさに宿命的ネーミングといっていいだろう!先ほどの日産車図鑑の初期「ダットサン」画像、グリル部分に注目。なんと「逃走ウサギ」のエンブレムがしっかり輝いているではないか。
 さて、同社は大正15年=昭和元年(1926)、大阪の実用自動車製造株式会社と合併しダット自動車製造株式会社となる。ここでDATの息子を意味する「DAT SON」1号が登場。しかし、SONは損と読めてしまうことから、太陽を意味するSUNに変更されたという。え?SONYと事情が似ている?というのはさておき・・・その後ダット社は戸畑鋳物の傘下となり、自動車製造株式会社(1933)〜日産自動車株式会社(1934〜)の道を歩むことになる。
 なお、DATの語源はダット自動車時代に、Durable(頑丈)、Attractive(魅力的)、Trustworthy(信頼性)のイニシャルに書き換えられていた。日産はそれをダットサンの精神と呼んでいる。

その精神も今、新たな勢力によって、別のなにかに書き換えられようとしているというわけだ。

■参考資料

日産自動車の歩み「日本の産業遺産300選(2)」同文舘

情報公募!トヨペットはなぜ「ペット」なのか、ご存じの方メールください。

◎私の記憶では、トヨタ自動車が戦後に新しい乗用車を発売する際に、「ペットのように可愛がってもらいたい」という意味をこめてつけた、というものです。トヨタ自動車のHPでは、1953(昭和28)年に「RH型トヨペット・スーパー発表」としか載っておらず、確認はできませんでした。(高橋晴之さん)

【MAZDAはなぜZか?】自動車メーカのマツダの名前は、社長が松田さんからと思うが、英語にするとマズダになっている。これは、ギリシャ神話の美の女神のマズダなんたらからきている。だから、英語ではTSUではなくZがはいっている。(匿名さんからの情報)

◎うろ覚えなのですが、確かマツダの英語名(mazda)の語源はゾロアスター教(拝火教)の神「アフラマズダ」に由来していた筈です。マツダはかつて電器(照明器具?)を製造しており、英語名matsudaでは外人が発音しにくく覚えにくい為、火(転じて灯かり)の神アフラマズダとひっかけてMAZDAのネーミングが誕生したとか。因みにゾロアスター教はペルシャで発生した宗教で聖地はイランのYAZDだったと思います。(匿名さん)

◎上記に「同社はかつて電気器具を製造しており」と表記されていますが、マツダブランドの電気製品は、戦前〜昭和40年代に東芝が使っていたものです。東芝は東京電気と芝浦製作所が合併して成立した会社ですが、マツダは確か東京電気のブランドだったはずです。「東芝」ブランドが確立してからも、「マツダランプ」や「マツダ蛍光灯」「マツダ体温計」が昭和40年代まで使われておりました。数寄屋橋阪急が入っている銀座東芝ビルも、かつては「マツダビル」と呼ばれていたそうです。(横浜の佐藤さん)

◎私の記憶では、匿名さんの情報にあるようにmatsudaが外国人に覚えてもらいにくいためにmazdaとした、というのは同じですが、たしか「米国で知名度のあるmazdaランプのスペルを借用した」というものでした。同じ情報にマツダがかつて電気器具を作っていた、とありますが、マツダのHPでは確認できませんでした。上記の「mazdaランプ」は、米国のエジソン・マツダ・ランプ(EDISON MAZDA)の電球の商標で、ゾロアスター教の火の神アフラ・マズダに由来する命名です。ただし、日本のマツダのHPによれば東洋コルク工業株式会社としての創業が1920年であり、手元にある「マックスフィールド・パリッシュ」(株式会社PARCO出版局/1975年)によればアメリカを代表するポスター作家のマックスフィールド・パリッシュは1918年(東洋コルク工業創立の2年前)から1932年にかけてエジソン・マツダ・ランプのポスターを手がけているため、日本のマツダの前身がエジソン社
の下請けなどで参加したとしても、もともとの電球のネーミングには関係ないと思います。(高橋晴之さん)

◎マツダランプは戦時下、こんなプロパガンダ広告を展開していました。「恐怖の広告」より。(化猫)

http://www.dik.co.jp/seken/PRO/pro3.html