観音さまのカメラ


キヤノンと観音の関係

プリンターやコピー機でおなじみのキヤノンも、ルーツはカメラメーカーだった。キヤノン(「ヤ」は大文字が正しい)ブランドは当初「KWANON」とつづられていて、その名称は観音と関係があったようだ。由来については「創業者の観音信仰」が定説とされているが、なかには「カメラが観音開きだったことに関係している」という説も。これに対して、僕らのカメラ碩学・無頼庵飯野氏はこう反発する。

キヤノンが設立された1933年(当時:精機光学研究所)頃は、蛇腹式のカメラが主流の時代であり、観音開き式のカメラもいくつか存在していました。しかし、キヤノンに関しては(アクセサリーを除いて)創業以来ひとつも蛇腹式のカメラは製造していません。

キヤノンが目指していたカメラが、ドイツのライカ(高級35ミリカメラ)であったことからも、それは合点がいくのだという。どうやら「観音開き」は俗説のようだ。さらに無頼庵氏はこう続ける・・・

精機光学研究所は、ライカに比肩するような本格的な35ミリカメラの製作を目指し、1933年に吉田五郎が義弟の内田三郎と共に設立したものです。そして1934年には、試作機の「KWANON(カンノン)」が出来ます。問題のこの名称は、吉田五郎によるものです。

レンズはカシャパ!

さてキヤノンの公式サイトにはこんなコメントがある。

「カンノン」という名称は、観音信者である吉田によってつけられた。マークの元絵も千手観音。レンズはカサパ(KASYAPA)。ブッダの弟子、教団の最長老マハーカシャパに由来する。カシャ、パッというシャッターの響きにもよく似ていた。

なんと本体はもちろん、レンズにも仏教関係者の名称があてられていたのだ。しかも、カシャパさんというシャレまで!ちなみに「観音さま」は観音菩薩のことで、観世音、観自在、観世自在、光世音などとも呼ばれる。その特徴は民衆のレベルに応じて自在に姿をかえること。つまり化身である。慈悲のまなざし(聖観音)、さまざまな化仏の顔(十一面観音)、ときには馬の顔(馬頭観音)や、ふくよかな女性(准胝・じゅてい観音)、いっそ全ての民衆に手を差し出してしまおう(千手観音)などなど。経営の基本が状況適合とマーケティングにあるとすれば「観音さま」のコンセプトは、企業姿勢としてあながち荒唐無稽ともいえないだろう。少なくとも語源としては「観音開き」よりも奥が深いのではないか。

ハンザキヤノン

では「KWANON」(カンノン)はいつ頃から「CANON」(キヤノン)に変更されたのだろうか。無頼庵氏によれば

1934年の時点で、「KWANON(カンノン)」は、アサヒカメラ6月号に広告を出しています。試作機が製品化され、販売されたのは、1936年(11935年説あり)でしたが、この時点ですでに、「KWANON(カンノン)」の名称はなく、ボディーのトップには、「HANSA CANON」という刻字が入っていました。

公式サイトにも、こんな説明がある。

高級カメラのイメージではないと義弟の内田三郎。内田は「KWANON」の「KW」を「C」に置き換え、世界中に親しまれるよう音読しやすいブランド名を発案した。「キヤノン・CANON=聖典、規範という意味もある」の誕生。

ところで、ハンザキヤノン(HANSA CANON)の「ハンザ」ってなんですか?無頼庵氏の回答はこうだ。

HANSA(ハンザ)とは、老舗の写真用品会社である近江屋写真用品株式会社のブランド名です。当時の精機光学は販売ルートを持たなかったため、この会社を通じてカメラを販売したわけです。

また、「ハンザキヤノン」のレンズには、日本光学(現・ニコン)製の「NIKKOR(ニッコール)」というレンズが付けられていました。これも、当時の精機光学ではレンズの製造まではできなかったためです。そのお陰で、1台のカメラに、HANZA、CANON、NIKKORという3社のブランド名が同居しているというのも面白いかも知れません。(ニコンにとっても、このハンザキヤノン用に作られたレンズが、最初の35ミリカメラ用レンズになりました。)

1937年 精機光学研究所→ 精機光学工業株式会社
1947年 キヤノンカメラ株式会社
1969年 キヤノン株式会社