現代の深淵、ホモ牛乳


子供の頃、ホモ牛乳を飲むのが恥ずかしかった。看板を見かけただけで、ヒゲとか濃くなってしまいそうで、怖かった。ホモソーセージなんかなおさらのこと・・・このホモという用語はいったいなにを意味するのだろう。まさか・・・あのホモとなにか因果があるんだろうか?

ホモ牛乳の謎

さっそく探偵である。明解20世紀辞典によれば「発売されたのは、戦後の混乱期をようやく脱した頃の昭和2年。それまでの牛乳とホモ牛乳の違いは、従来の牛乳は乳脂肪が分離しやすく飲みにくかったのに対し、ホモ牛乳は脂肪が細かく分解されているため、分離しにくく飲みやすくなった点にある。“ホモ”とは「均質な」という形容詞=ホモジニアスの略語」らしい。要するに加工乳のことか?そういえば最近はノンホモ牛乳というのもある。ホームページによると「ノンホモとは生乳の処理工程の中からホモジナイズ工程(生乳中の脂肪球を機械的に圧力を加えて破壊し、均質化する)を除き、より自然な牛乳を目指してよみがえった牛乳」なのだという。つまり、生乳・・・そのままやんけ!関係ないけど、ここでパパラギ牛乳というノンホモ・アイテムを発見。飲んでみたい・・・

ここにもホモが・・・

ホモの名がつく製品は他にもある。ホモ鉛筆、ホモソーセージ、専門分野ではホモポリマー、ホモミキサー・・・これらはおそらくホモ=ホモジニアスの法則で説明可能なアイテムだろう。簡単にいえば「均質化製品」ということだ。ちなみにトンボ鉛筆の「ホモ鉛筆の誕生」を読むと、HBという硬度を日本人の平均値にするため、同社は涙ぐましい努力を重ねていた。

日本人のホモ意識のゆらぎ

こうしてみると日本はたぐいまれなホモ大国という結論にたどりつく。そもそも工業立国として大成した背景には均質化の象徴というべき「TQC」があったし、出る杭は打たれる、年功序列、金太郎飴式教育、横並び、平等、民主主義・・・すべてが均質=ホモジニアスの法則で説明できる。最近ではコギャルのファッションまでホモである。だから生乳というそのままの製品をわざわざノンホモと言い直さなければならないのだ。そうだ、まさしく自然とはノンホモのことであり、反対にホモとは不自然の定冠詞なのである。僕は君ではない。カタチも姿も、考えも、生きている意味も・・・つまり男が必ずしも男である必要などなく、あくまでも非均質に、ノンホモに・・・あれ?・・・世界はカオスになってしまったのか。こうなったら、みんなでパパラギ牛乳を飲むしかないだろう。