Special Edition
「麻を植える」

ある晩、論客・総裁さんが謎のメールをくれた。
かの「入れた手のお茶」ATOKでこんな変換を発見したというのだ。

おえど→麻植度(お江戸)
何なのでしょうね、『麻植』って。
国語辞書にないよ。
人名か地名かな……
でもATOK君は堂々と返還してくれるし、おまけに最上位に乗ってる。
古都絵里ちゃんは、知ってる言葉?

さっそく、古都絵里ちゃんに変換を課す。が、

追えど、負えど、遂えど・・・

相変わらずの天然度。試した自分がバカだった。

麻植(おえ)ってなに?ねえ、なんなの?

ここで、このコーナーは突然「語源探偵団」になってしまうのである。

たけ「なんだろう、なんだろう麻植。わからないけど楽しそーだな」
ゆか「え、麻を植えるのって、そんなに楽しいの?してみたーい!」
たけ「ばか。タイホされちゃうぞ!ね、団長」
団長「まったく、君たちっていう人種は。いいかね。麻植は地名じゃ」
たけ「どこですか、その地上の楽園は!」
団長「徳島県
ゆか「もしかして、あの、ジャストシステムの企業城下町?」
団長「ピンポ〜ン!」
たけ「その音、ふるいですよ団長」
団長「それでは、みなさんを、麻の世界に誘惑いたします」
ゆか「キャー、うれしい!」

■大麻(おおあさ)入門

●麻プロフィール
麻は中央アジア、カスピ海周辺を原産地とするクワ科の1年草。
日本においては新石器時代から繊維材料、食用、燃料、建材、薬
として多目的に栽培されていた。
縄文時代の遺跡から麻の実も発見されており、そもそも、縄文土器の模様は麻の縄を押しつけて作られたものらしい。
戦前までは、日本中どこにも麻が植えられていたようだ。
たとえば栃木県では米10に対して麻1の割合で計画栽培されていたという。しかし、終戦とともにアメリカ軍の麻栽培禁止令や、石油科学製品の普及もあって麻産業は衰退していくのであった。
(参考サイト:林庄

●文献
『魏志倭人伝』に次の記録が残されている。
「種禾稲、紵麻、蚕桑、績、出細紵、綿」
(古代から日本人は稲・麻を植え、蚕を飼い、糸を紡ぎ、
さまざまな布を織っていたようだ)

『霊異記』
「─の縄を二つの足に繋ぎ」

●広辞苑によると・・・

お【麻・苧】(1)アサの古名。(2)アサ・カラムシの茎の周辺部の繊維からつくった糸。からむし【苧】「むし」は朝鮮語の転か、あるいはアイヌ語の転か。

■地名の研究

●国分寺は武蔵の国の時代に「多麻」と呼ばれていた・・・
●多摩川は「麻が多く栽培された川」の意味・・・
●麻布は文字通り「麻の布」・・・
●調布は「麻の布」を織っていたところ・・・
●浅草なんかも、あるいは?・・・

お江戸と麻植(おえ)、あながち関係なくもないようだ。

ちなみに
●北海道江別市にずばり「大麻駅」がある・・・
【参考】少林寺拳法「大麻麻の実」支部道場

■関係ないけど・・・

●麻植郡のある徳島県中・西阿波地方には古くは修験道の霊山とされていた高越山(こうつざん)があり、吉野川沿岸には、大歩危(おおぼけ)・小歩危(こぼけ)の奇勝!があるんだそうだ。これは、ATOKに追いやられた「ことえり」を象徴している!

■結論

●<お>は麻のことだった。<おうえ(麻植)>が<おえ>に転じたごとく、お江戸とは周辺エリアを巻き込んだ一大麻市場<おうえど=麻植戸>だったに違いない!後々、その市は巨大化し、大江戸ともいわれ、大江健三郎(麻植健三郎)は世界のノーベル賞作家となった。なお、歴史上の人物としては<さかのおうえたむらまろ(坂上田村麻呂)>がいる。うそです。

【情報!】
◎徳島県麻植郡ですが、徳島に住む友人の報告によると「麻植胃腸科」と「麻植産婦人科」がとなり合ってあるそうです。(タカノコウタロウさん)※写真がほしいざますねえ〜(団長)

◎私の住んでいる香川県善通寺市には大麻山(おおさやま)という山があります。もちろん地名は大麻(おおさ)!謎なことにこの山は道路の傍ところどころ高さ2Mぐらいのフェンスが張り巡らせてあるところがあるのです。もしかして・・・?と思ったりして(超・妄想)冷や汗を流しながらその山道を駆け抜けています(匿名さん)あなたは弘法大師ですか?(団長コメント)