「家は焼けても貯金は焼けぬ」の巻
飛行機の増産は私達女性の手で引き受けました
少年工の皆様、お父さま、お母さま・・・のタイトルではじまるボディコピーが痛ましい。海軍志願兵徴募の公告。少年の徴兵という事態が断末魔の叫びに聞こえる。(昭和19年『朝日新聞』)
家は焼けても貯金は焼けぬ
東京大空襲下の預金促進コピー。大蔵省。リアリティがありすぎる(昭和20年『朝日新聞』)
空襲下、救護必備薬 仁丹
B29の爆撃下もちゃんと、しっかり、広告は息づいていた!そのたくましさに拍手。(昭和20年『朝日新聞』)
分室移転、迅速確実
博報堂が終戦直後に出した営業広告。これを「脱プロパガンダ広告」とする。(昭和20年『朝日新聞』)
言論が自由な今日、印刷が不自由では!
日立製作所、印刷機量産の告知広告。終戦直後、マスコミにとって輪転機のインクの匂いが、新緑の香りだったのでは。(昭和21年『朝日新聞』)
富国徴兵→富国生命、第一徴兵→新日本生命、第百生命徴兵→第百生命
終戦の年、10月頃にはすでに「徴兵生命保険」会社のCIともいうべき社名変更広告が続々登場。ところで、各社徴兵保険料は滞りなく支払ったんでしょうか。(昭和20年『朝日新聞』)