ヘレン・ケラーと塙保己一
重度の障がいを乗り越えて、人々に感動と勇気を与え続けたヘレン・ケラー。彼女が少女時代、小さな胸に“希望の星”として映っていた一人の日本人がいた。その人物こそ、塙保己一だったのである。ヘレン・ケラーがはじめて来日したとき、会場のさいたま会館で、こんな言葉を述べている。「私はいつか日本へ行ってみたい。そうしたら必ず埼玉を訪ねてみたい、そう願ってきました。それが今日やっと実現したのです。こんなうれしいことはありません。なぜなら、私が心の支えとして、人生の目標としてきた人物がこの埼玉の人だったからです。その人の名前はハナワホキイチ先生といいます」。彼女はまた、温故学会にも訪れて、こんな言葉を残している。「私は幼いころ母親から塙検校(保己一)の業績と不屈の精神を聞かされ発奮しました。塙先生は私に光明を与えてくださった恩人です」。
「障がいは不自由であっても、決して不幸ではありません」と語るヘレン・ケラー。「ヘレンの来日により、日本にはじめて障がい者福祉の灯がともったことは周知の通りであるが、ヘレンは保己一を心の支えにしていたのである。心の荒廃が社会問題となって久しいが、ハンディをのりこえて大事業をなしとげた保己一の生き方や、彼を支えた周囲の人々のありようには学ぶべきところが多い」(温故学会副会長 斉藤幸一氏・特別寄稿)。